【私の一生の財産、韓国語との出会い】

日記


みなさんこんにちは!

現在韓国サイバー大学生兼日本のアラサー社会人です。

今日は私と韓国語の出会いについて書きだしたいなと思います。

私にとって韓国語は今までの人生の半分近くをワクワク感で満たしてくれた大事なもので、これからも付き合っていく言語だと思っています。

そこでこの記事を書こうと思ったんですが、あまり思い出したくない過去もあります…

それでも今ここでまとめることで何年後かに見返したときまた原点に戻ってこの記事が力になることもあると思うので、今日は日記のように綴っていきたいと思います。

もし興味がある方がいらっしゃいましたら最後までご覧いただけると嬉しいです!




中学の時韓国語にハマる


私が最初に韓国語を聞いたのは今でも鮮明に覚えています。

当時スカパーで深夜放送していた韓国版花より男子です。

そのころ私は嵐にぞっこんでファンクラブに入るほどの大ファンでした。

花男も嵐のメンバーが出てたこともあり大好きな作品だったんですが、韓国版?どゆこと?と

当時外国のことを良く知らなかったけど興味本位で見てみました。



そして生まれて初めて韓国語という言語を聞く…



小学校からの授業で英語は習っていたので、英語以外の外国語を初めて聞いて


不思議な言語だなあ…この音どこから出してるんかな…私とかでも話せたりするのかな…

え、今日本語話してなかった?にしても韓国?の俳優イケメンすぎ!と、

とにかく衝撃的で気が付くと韓国語の音に段々とはまっていきました。


中でも花沢類役のキムヒョンジュンがかっこよくて、日本ではあまり好きじゃないキャラも役者でイメージが変わるんやという感じでした。

そこからは深夜の花男を楽しみにして毎日見ていました。

当時はYOUTUBEもそんなに普及していなくて、私がハマった時期的にちょうど東方神起・KARA・少女時代の最強アイドルたちが日本にやってくる少し前だったので、

花男でしか韓国語に触れる機会はなかったんです。

でも中学生で深夜放送を毎日見てたって学校は?と思いますよね。

実は私は中学ほぼ不登校でした。


不登校時代

実は中学1年の夏休み明けから不登校になりました。

中学に進級したと同時に同じ小学校だった生徒が豹変して、いじめという大げさなものではないですが、まあそんな感じです。

今思うとそんなに大したことじゃなかったのに耐えられなかったことが不思議ですが、弱かったんですね…多分。

その時も大人になったら学校に行かなかったことを後悔する…とは分かってたんですが。

結果、今後悔はしてないので学校に行きたくなければ無理に行く必要はないですよ!

話がそれましたが、ここ数年は結構不登校が取り上げられたりして、問題視されていますが。

当時は


学校に行かない=わがまま、甘え


親も先生もみーんなそんな考えで部屋まで入ってきて無理やり学校に連れていくという感じでした。

文章でかくとこんな感じですが、この約半年から1年の間ずっと

唯一ハマりだしたKPOPが私の心の支えとなりました。




4年制の高校に入学


中学の最後の方は回復してきてちょこちょこ教室に行くことが出来ましたが、みんながやってたのは

願書の準備やら面接練習でした。

私も高校から新たな気持ちで普通の高校生活を送りたい!と思うようになりました。

全日制の私立と4年制の高校(働きながら行く高校で年齢はバラバラ)に願書を提出しました。

私立は親が受かるはずがないと思っていたらしいですが、合格しました。

いざ学費を払うとなると、お金がないと言われ、結局辞退。

4年制高校は普通の高校より遅めに入試があったのでそこ一択でした。

普通の高校じゃない、制服もない、みんな年もバラバラ…夢見た感じとはあまりにも違いすぎてもうなんでもいいか、という感じでした。

もとは中学時代まじめに勉強をしてこなかった自分のせいだと理解し、いざ通ってみると


案外楽しかった。

そして心に問題を抱えていたり、家庭環境がよろしくない、そんな友達が多かったです。

私と同じように中学から不登校で行く高校がなかったという人もいました。

そして自分と同い年でアルバイトを始める子が大半だった。

お金を稼ぎたいからこの高校を選んだ人も多くいることを感じました。


一方私の韓国熱はこのころには止まることをしらず加速していって、

韓国に行きたい
という夢が膨らんでいきました。

私の家は裕福ではないというより貧乏でした。

大学はちゃんと通うから韓国語コースがあるところに行きたい。韓国に留学できるとこがいい、と思うようになり

高1の段階で候補を全部調べ上げ親に見せた。

そして即却下。

お金がない、大学なんて行く意味がない、高校出たら働くのがふつうやで。と。


あんなに中学時代に学校に行かせようとしてたくせに…やっと自分から思いっきり勉強したいことをみつけたのに…

大喧嘩した。

まあ今考えると中学と大学って全然違うけどね、金銭的にもって分かるけど、当時の私にはまだ理解できなかったんです。


お金もなんとかなると思っていたが、

3者面談の時、初めて先生と私の前で親が

うちはお金がないので進学はさせれません、と言われたときにはもう諦めるしかないと、また夢がかなわないんだ、という感じでした。

そうなったら私がアルバイトをして稼いだお金で韓国に行ってやる!という感じで

高校時代に学校の成績は諦め、韓国語の勉強を独学でしながら必死にアルバイトをするという生活を送った。

卒業後、フリーター


そして4年かけ高校を卒業後、無事フリーターになりました。

親には就職しろと言われていたが私は進学するか、フリーターのどちらかだった。

決して企業に入ってまじめに働きたくないという理由ではなく、それよりも今はやりたいことがあって、

高校卒業してやっと自由になれたのに会社に縛られるのが納得がいかなくて、

それでフリーターになりました。

でも当時はフリーターって社会のゴミみたいな雰囲気がまだあったので肩身は狭かったです。

韓国に行くために今は稼いでるだけ、帰ってきたら就職するし今だけフリーターしよ、そういう考えでした。

すぐに韓国に3カ月行けるぐらいの留学資金は溜まったが、実家に払ったりしてなかなか溜まらない…

高校卒業したとはいえまだやりたいことたくさんあって、今までも何一つ叶えられてない状態で、

必死に溜めたお金も飛んでいく…本当に辛かった

何度も喧嘩したけど親を嫌いだと思ったことはなくて、親の苦しみを分かってあげられない自分にイライラしていました。

高校卒業から何年かたった後、やっとの思いで溜めた留学資金を握りしめ1回目の超短期留学(3週間)に挑戦します。

念願の留学

留学する前に旅行で韓国に行ったことはあったが、当時の私の韓国語レベルなんてゴミで(笑)、

全然通じなかったことを覚えています。

そして3級の授業をたった3週間受けて日本に帰ってきました。

帰ってからは韓国語の勉強とフリーター生活をしていました。

今度は3カ月行ってやる!という感じでまた死ぬ気で働きました。

その後1年後、帰ってきてまた1年後、そして帰ってきて2年後、

韓国短期留学を繰り返してきました。

この長期間で韓国語を上級レベルまで上げることが出来ました!

韓国の大学に行きたい

韓国の大学に正規留学してそのまま現地就職、結婚して韓国に永住したい、そこまで考えたことがあります。

留学生活を繰り返すうちにどんどん韓国での生活が魅力的に思えてきました。

韓国の大学に行く実力(外国人は韓国語レベルだけでOK)はあるのに、お金がない。


お金…またこの問題にぶち当たってしまった。

奨学金のことは知っていたけど足りないし、そうしてもソウルがいいし…

そんなこと言ってるうちにどんどん年をとり、気が付いたら諦めていた。



サイバー大入学

去年の秋から新入学で韓国のサイバー大学に入学しました。

形は違うけれどこれも夢見ていた大学。

今は楽しく生活を送っていて、親ともとても仲良しです。

サイバー大学ではここ数年で興味をもって勉強していた中国語を専攻に選び、日本で働きながら受講しています。

そして最近はブログを書くことも楽しいし、仕事も楽しいし、休みも充実してるし。

中学の不登校時代なんてなんら響かず、楽しく生きています。

しいて言うなら、漢字に弱い、やっぱり勉強してなかった分頭の中の単語とか不足してます…(笑)


いつか韓国語中国語を極めすぎて、日本語が疎かになるんじゃないかと思い始めているので日本語能力を超えることがないように、ほどほどに勉強していきたいと思います。


まとめ

ここまで綴ってみて改めて思ったのが、約10年間もの間、韓国に行くことだけを夢見て必死に働いてきたんだなあと。

不登校時代に勇気づけられたのも、アルバイトを頑張れたのも、大学に行って勉強したい!って思えたのも

絵あたしの青春ともいえる時代が全部韓国だったことに気づきました。

たぶん韓国との出会いがなかったら…

まあそれはそれで違う何かに必死になれたのかなとも思います。

それでも本当にあらゆる困難の中で身に着けた韓国語なのでこれからの一生韓国語とは付き合っていきたいなと思っています。

すごく長い日記でしたが読んでくださり、ありがとうございました!



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